2013年6月26日水曜日

作品紹介(3)「夏の終わり」

江上茂雄さんは基本的に絵にタイトルはつけないそうです。

絵を描いている途中にタイトルが思い浮かんだり、描き終ってからタイトルをひねり出すとか、そういうことはしない。けれど、過去何度か開いた展覧会(初個展は退職した60歳の年に!)では「やはり作品にタイトルがあった方がさまになるだろう」と考えられたし、3年前に自費出版された作品集に掲載されている作品にも一応タイトルはあります。

ご本人にとってはあくまでも便宜的なものでしかないのでしょう。だからそのどれもこれもが簡潔なものです。そしてだからこそ、ときにそのタイトルが江上さんの絵が持つ詩情をよりゆたかに醸すこともあります。

たとえば「夏の終わり」という作品もそんな1枚ではないでしょうか。

「夏の終わり」 平成14年9月 水彩 荒尾市郊外

描かれたのは9月。夏の盛りを過ぎ青々とした緑もすこし色あせ、画面全体に黄色がかった昏い色合いが季節の衰えを兆しているかのようです。そんな色合いもあってかこの絵は、伸びやかな開放感とともに「終わり」ゆえのわずかに不安な心持ちを私にもたらします。

絵をもう少しじっくり見てみましょう。

空は画面の上半分を占め、大きく広がっています。上下を二等分する構図は通常なら安心感をもたらすところですが、しかし下半分を占める地面は、空と同じように大きく広がっていくかのように見せかけて、じつは左上から圧迫されて右下に逃げていくしかないように描かれています。

左を錘する大きく暗い緑、茶色の地面が奥へと抜けていくのを阻む黒い線、緑の地面の上から杭を打つように突きささる直立した木々。そして緑色と黄土色の地面は白い線で囲われ、お互いに混ざり合うことも左の茶色と溶けなうこともなく、画面の右側へと追い立てられていくのです。

場所は江上さんがよく絵を描きに行ったという荒尾運動公園。画面の下半分を占める茶色の地面は道路ではなくおそらく運動場で、とすれば画面の向こう側へと続いていかないのも見える通りに描いただけとは言えますが、しかしそれにしても左側に立つ木の描き方はどうでしょう。筆は左から右へと運動し、その勢いは空にも伝播していくようです。

さらに根元の青い影。木の葉っぱが画面右への運動を勢いよく感じさせるとすれば、この影というには青すぎるようにも思える大きな染みは地面にじわじわと染み渡り、まるで地面を侵食していくかのような不気味ささえ感じさせます。

地面だけではなく画面全体を左から右へと押し出していくような動き(地平線もわずかに右上がりのように見えます)はしかし、わずかな不安感や不気味さをもたらしながらも日本という豊かな気候風土に暮す私たちにとっては、秋を越えあらゆるいのちが枯れ切ゆく冬への移り変わり、さらにはまた芽吹く春がやってくる望みにまでつながっていくのかもしれません。

「終わり」は「はじまり」と円環をなしてつながり、巡っていくのです。

さて、長々と書いてしまいましたが、そもそも今回この作品を取りあげたきっかけはもうひとつあります。

それがコレ。



見ての通りアルバムジャケットが江上さんの「夏の終わり」なのです。3年前に開催された江上さんの個展をご覧になった高取さんが、ご自分の曲(とアルバム)と同名のこの作品をぜひジャケットに使いたいと依頼されたとか。

もちろん今、私のなかではヘビーローテーション!(たけ)


*コチラで試聴もできます







2013年6月19日水曜日

作品紹介(2)

展覧会の準備として今、江上茂雄さんの水彩画をとにかく全部見て、とにかく全部写真に撮ろうと作業を進めています。

67歳からの30年間、ほぼ毎日水彩画を1枚描いてきたわけですから、総計は1万枚。なかなか終わりは見えません。

1枚1枚ライティングを調整して、、、といった丁寧な撮影ではなく、どちらかといえば次々とメモ撮りしていくかんじ。ただ作業を繰返していると面白いもので、大体100枚を越える頃すこしトリップした気分になります。

そしてそんなとき、決まって目が震える瞬間があります。

紙の上の色と形が突如動き出し、空間がわずかに歪み、目を衝いてきます。「なんだこの絵は!」と驚きの声を挙げるとともに、「ぼくはこれまで江上さんの絵の何を見ていたのか?」とのかるい落胆さえ訪れます。

平成17年、江上さん93歳のときに描かれたこの2枚の水彩画も、私にとってはそんな絵です。

「切り通し 六月」 平成17年6月 水彩 荒尾市郊外

「切り通し 初夏」 平成17年7月 水彩 荒尾市郊外

緑と黄土色とを基調に色が奔放に塗り重ねられた、荒々しい筆致に一瞬戸惑うかもしれません。写実・写生を旨とする江上さんですが、「ヤッとフォービズムまでたどりついたように思う」とご自身でおっしゃるように、そのスタイルは常に揺れ、一定ではありません。

ただ興味深いことに江上さんの絵においては、どんなに形を崩して描かれているように見えても、すこし離れて見ればそれが何を描いているのかほとんど迷いなく分かるのです。分からないとすればむしろ、どうしてそれと分かったのかというその理由。感覚が理性より先んじて対象をつかんでしまうとでも言うのでしょうか、時間の流れを飛び越えてしまうようなことも起こりえます。

だからこの2枚も絵も、その奔放さに対する戸惑いとは裏腹に、ここが緑生い茂る山道であることはすぐに分かるでしょう。

それでもなお私の目を衝くのは、「(植物の)緑」や「道」といったんは名付けたとしてもそこに回収されることのない名付け得ぬ余剰であり、風景を前にした画家の精神の動きのようなものであり、風景と画家との交歓の軌跡のようなものなのです。

同じ場所を同じ構図でとらえた2枚の絵ではありますが、緑、道、影、光、そして画家、さらにはおそらく風とが混然一体となって溶けあい、まったく違う絵になっています。「どこからどこまでが緑で」「どこからどこまでが影で」「どこからどこまでが画家の主観で」などと線引きすることの無意味な世界がここに立ち上がります。

そして画面の上部、左右のほぼ真ん中に目に映る白。

上の絵「切り通し 六月」において緑の上から塗られた白い絵具は、その物質的な厚みをともなって目に飛び込み、緑と拮抗しながら風景全体を撹乱さえする強さを持っています。

一方で下の絵「切り通し 初夏」においてこの白は、緑の絵具から逃れ得た紙の白。周囲を取り囲み、浸食せんとばかりに迫りくる青い影から逃れるように、この白は奥へ奥へと後退していくのです。

この白に私が既に知る名前を与えるとするなら「光」となるでしょうが、しかし私の知る光とこれはまったく違うような気がしてなりません。




2013年6月18日火曜日

百一賀

6月18日。
今日は、江上茂雄さんの誕生日です。

今日で、101歳。
文字で書くのは簡単ですが、
明治・大正・昭和・平成と、歩んでこられた時間は
ご本人にしか実感できないものでしょうね。

今回の展覧会は、101歳を記念したものではないのですが、
ささやかなお祝いと、大きな敬意を込めて、
田川会場でのサブタイトルに、「百一賀」と入れています。

あまり聞きなれない言葉かもしれませんが、
米寿や白寿などと同じ、長寿のお祝いを表す言葉のひとつです。


最近は、毎日戸外で描くことが体力的に難しくなった江上さんですが、
それでも体調の良い日には、自宅で木版画の制作に
勤しんでおられます。























画像は、「私の筑後路」と題した、木版画シリーズの1点。
すでに30年以上も取り組んでいるシリーズです。

多色刷りによる木版画は、使う色の数だけ「版」を作り、
それぞれの色の境を厳密に合わせることが多いのですが、
江上さんの作品では、色と色、影と影、空と雲、
色が乗る部分と乗らない部分などが、やわらかく重なり合います。
(とく)

2013年6月15日土曜日

江上さんと大牟田

江上茂雄さんは、1912(明治45)年6月18日に山門郡瀬高町吉里に生まれます。

江上さんが生まれ育った瀬高町は、中世以来、矢部川水運交易の拠点となった町で、とくに瀬高上庄・瀬高下庄は薩摩街道の宿駅となり、商業活動が拡大するにつれ集荷地が置かれ、そこに町屋が形成されました。矢部川沿いの各村では酒造業が盛んとなり、紙漉き、瓦焼き、鋳物が行われ、酒造業は今でも数件が営業しています。

江上さんは、12歳で一家の大黒柱であった父親を亡くされたことから、高等小学校を卒業するとすぐに大牟田市の三井三池鉱業所に入社され、7人家族の家計を支えます。以来1972(昭和47)年に同社を定年退職されるまでの45年間、「日曜画家」の時代が続きます。(かじ)



写真は、戦前に大牟田市有明(ゆうめい)町にあった三井三池鉱業所。市民は単に“本社”と呼び、市内電車の停車場名も“本社前”でした。江上さんは同市新地町の社宅からこの“本社”に毎日徒歩で通勤されていたそうです。なお、この建物は空襲で焼失し、戦後は市民会館が建てられました。

2013年6月13日木曜日

瀬高町

川の土手から見渡す眺め。
一面の、畑と田んぼ。

ここは、福岡県みやま市の瀬高町吉里開
(よしさとびらき  現・瀬高町河内開)
江上茂雄さんの生まれた町です。

古くは干拓・開墾によって形成されていった土地で、
「開」という名に、その名残があります。

江上さんが生まれたのは、明治45(1912)年。
彼が子どもの頃に見ていた風景が、
今にどれほどの面影を残しているのか、
それを想像するのは難しいですが、
図画の授業がもっぱら「写生」だった時代、
その写生を通して江上さんの絵心が芽生えていったことを思うと、
見渡す土も、水も、草花も、ちょっぴり素敵な顔に見えます。

(とく)

2013年6月12日水曜日

作品紹介(1)

江上茂雄「雪降る」 1960年頃 クレパス 大牟田市本町

場所は大牟田市内、江上さんが住んでいたまちです。どこかの製材所なんでしょうか、材木が敷地からはみ出して横たわっています。

大八車や手押し車が時代を感じさせると同時に、画面にアクセントを与えています。画面の下半分には様々な形が散りばめられていますが、画面中央の小さな三角屋根とその上にある大きな三角屋根が構図にリズムと安定感をもたらし、よく見れば画面の至る所に屋根の傾きに呼応した線と配置が見つかるでしょう。

時間は夜にちがいありません。けれど画面全体がほのかに白く光っているのはどうしてでしょう? 空に満月が輝いているのでしょうか? いやしかし、それにしても...。タイトルを見ると「雪降る」とあります。そう、雪が降っているのです。

この絵のこの上ない魅力は、雪が画面の中で光として感じられると同時に、質感として直接に表現されているところにあります。実際にこの絵を前にした時、江上さんがクレパスでつくり込んだ独特の質感に目が震えると同時に、誰もが胸に秘めている記憶や感情が呼びさまされるはずです。

それは雪景色がもたらす感傷だけではありません。きっと私たちは、この雪景色を手すりの手前から眺めている画家の姿と、その画家が画面に込めた営々たる時間を見るのでしょう。(たけ)