2013年9月18日水曜日

大牟田搬入

田川展が終わり、今日は大牟田会場である
大牟田市立三池カルタ・歴史資料館に作品が搬入されました。

大牟田は、江上茂雄さんが三井三池鉱業所に勤めながら、
“日曜画家”として絵を描き、定年まで過ごした場所。
江上さんのホームグラウンドとも言えるここでの展示は、
地元・大牟田であることを、より深く見つめた構成になる予定です。

写真は、3人の担当者+江上さんのご次男、計太さんのご協力による
作品搬入とチェックのようすです。
いよいよ展示作業ですね。
(とく)


2013年9月17日火曜日

田川展、閉幕しました。

昨日、田川会場の会期が閉幕を迎えました。

わずか2週間の会期であったことが残念ですが、
3館で発信する“江上茂雄”さんという画家について、人間について、
多くの方に関心を持っていただくことができたように思います。

直接会場でお話しできた方々や、
展示室に置いていたスケッチブックなどから、
たくさんのうれしいご感想をいただきました。
江上さんの歩んできた毎日に、寄り添ってみたい。
担当として、そこに想いを込めた展示に
共感されたというコメントも多くいただけました。

展覧会の終りはいつも寂しいもので、
今日はすべての作品を額から外し、
運送のために 梱包をしました。
それらは明日、大牟田へ。そして福岡へ。

第2会場の大牟田市立三池カルタ・歴史資料館と、
第3会場の福岡県立美術館へ、
それぞれ バトンをお渡しします。
 (かじ)さん、(たけ)さんによる展示も、
ぜひぜひお楽しみに。

田川展にご来館くださった皆様、
想いを寄せてくださった皆様、
ありがとうございました!
 (とく)


2013年9月16日月曜日

田川展 最終日です

江上茂雄さんまつり、第一会場の田川市美術館は、
本日、会期の最終日を迎えています。

チラシという媒体でのアピールはやや弱かったですが、
このブログやfacebookなどをご覧いただいた方々も含め、
当館としては予想以上の方にご来館いただけています。
皆様、ありがとうございます。

江上茂雄さんの人となりや歩みに寄り添うため、
いくつかの仕掛け(というほどでもないですが)を
展示に盛り込みましたが、その一つが年譜です。

展覧会場には、必ずと言っていいほどあるものでしょうが、
今回は、来館された方が歩きながら、
江上さんの歩みに想いを馳せていただくため、
全長26メートルの年譜を作成しました。

絵を描くことの芽生え、さまざまな技法に取り組み始めた時期、
一人の男性として、父親としての家族の形成、
そして、これだけの長い期間、絵に取り組んでいるんだという事実。

それらを感じていただければ、嬉しいです。
最後の駆け込みでのご来館、お待ちしております。

(とく)

2013年9月10日火曜日

福岡展チラシ紹介文

福岡展@県立美術館でのチラシが完成し、みなさんの手元に届けるべく現在いろいろ作業中です。ぜひ手に取り、手元に置いてもらいたいと願っておりますが、実際にはなかなか広くは行き届かないのも現実。

そこで、チラシの紹介文をここに転載することに。

江上茂雄という画家がどんな人なのかを想像しながら読んでもらえればうれしく思いますし、これから田川展(~16日)に行かれる方のワクワクにつながれば幸いです。

とはいえ全文で3,500字。ワクワクどころかゲンナリにつながらないことを祈りながらの、ちょっとした賭けでもありますが。。。(たけ)

「夏池」クレパス、1950年前後


江上茂雄さんは明治45年(1912)生まれ、今年で101歳になられた。今でこそひとりで外出するのも叶わなくなり、毎日を家の中で過ごされているが(とはいえなんとひとり暮らしである)、つい4年前までは「路傍の画家」として現在も住む熊本県荒尾市周辺の風景を写生しつづけてこられた。それも67歳から97歳までの30年間、ほとんど毎日のように。

自宅を歩いて出かけてはここぞという風景の前に座り、大体23時間かけて水彩画を1枚仕上げて帰ってくるという日々の繰り返し。「ご飯を食べるのも絵を描くのも同じこと」とか「歩いて出かけて風景に出会うのがただ愉しかった」と言われればそういうものかと得心もするが、しかし「毎日描こうと決めたから」というそれだけの理由で30年間、元旦と台風の日をのぞいては晴れの日も雨の日も描き続けたという持久力はただの淡々を超えてどこか狂気すら孕んでいるし、描かれた1万枚もの水彩画の物量を実際に目の前にすればその印象も尚更なものとなるだろう。現在も体調の良い時は長年のライフワークのひとつでもある木版画の制作に取り組んでいるというから、表現者としての業のなんと深いことか。

この展覧会は、ただひたすらに(そして果敢に)独り描きつづけた江上茂雄という絵描きの道行きを紹介する、美術館によるはじめての企画展である。

 ***

絵を描くのが大好きだった江上少年は、福岡県山門郡瀬高町(現 みやま市)生まれ大牟田育ち、高等小学校を卒業と同時の15歳で三井三池鉱業所建築課に入社することになる。つまり江上さんはいわゆる「日曜画家」であり、以後の45年間60歳まで会社員として勤めあげ、多い時には7人家族を養いながら日曜日毎に絵を描きつづけた。最愛の母に捧げられた初個展が開かれたのも、退職した60歳の年であった。

当初は水彩絵具を使っていたが、30歳頃からクレパスを使うようになった。最大の理由は、クレパスが安価で手に入れやすい画材でありながら油絵具に似た質感を得ることができるからで(しばらくすると耐久性の理由からクレヨンを使うようにもなる)。江上さんと話していて名前のよく挙がる画家は、例えば岸田劉生や坂本繁二郎、マチス、ボナール、パウル・クレーなど。そういった画家たちからの影響を多かれ少なかれ受けつつ、江上さんが油絵具による絵画表現に憧れを持っていたのは自然なことだし、主に経済的な理由で油彩画を断念しなければならなかったことは今も江上さんのなかに生々しいルサンチマンとして根を張っている。ただし、だからこそ私たちの眼と心を魅了する江上さんの絵がここにある。

描かれたのはもっぱら大牟田近郊の風景や身近な眺め。狭い社宅の板間にしゃがみ込み、現場でのスケッチをもとにクレパスを塗っては削ってまた塗ってとほとんど執拗に塗り重ねていくことで、もはや油絵具ではつくりえない独特の質感をまとうクレパス画が生まれることになる。広々とした風景のただ中にひとり身を置き光や風に触れる悦びが、クレパスを延々と塗り重ねる手と時間のなかに託されて、懐深く親密な風景を紙の上につくりゆくのである。そこには空に降る雪も波立つ海も、空にそよぐ風もとらえられている。

生来から小さきものを愛で、弱きものに共感を寄せる心性の持ち主なのだろうと思う。そのことは江上さんの絵のあらゆるところに染みわたっているし、たとえば大きな風景の中にぽつんとたたずみほのかな光を放つ一軒の小屋にも、たとえば道端に生える草花を摘み、持参した小瓶に挿して大切に持ち帰っては鉛筆で緻密に象った植物画にも認められる。戦時中の昭和13年からおよそ30年間の長きにわたって断続的に制作され、『私の鎮魂花譜』と名付けられたそれらは、江上さんにとって青年時代の寂しさを慰めてくれた代償的行為の記録でもある。

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昭和30年代、つまり1960年前後の大牟田は、三池争議(1960)や炭塵爆発事故(1963)などの歴史的事件が象徴するように、未曽有の社会的混乱を経験することになる。江上さんも職を失うかもしれないという危機感を覚え、事と次第によれば作品制作で生計を立てねばならなくなるかもしれないと、木版画制作に取り組み始めた。その一方で、日曜画家として1カ月に1枚というペースでのクレパス・クレヨン画の制作ばかりに安住してはいられないとの焦燥感から、平日の帰宅後や自由時間には『私の手と心の抄』と題された実験的な即興絵画のシリーズを手掛けるようにもなった。

『私の手と心の抄』が制作されたのは、昭和34年(1959)前後から退職する昭和47年(1972)までの間。クレパス、クレヨン、水彩絵具のみならず、鉛筆、ボールペン、墨汁、マジックインキなどありとあらゆる身近な画材を駆使して雑多に生み出された作品群は、だからこそ画材と自由に戯れる江上さんの肉体的な高揚をダイレクトに伝えてくる。江上さん自身も「このシリーズが描いていて一番愉しかった」と語っている。

その「愉しさ」は、江上さんが絵描きとしての本流を賭けていたクレパス・クレヨン画の制作にもゆっくりと影響を与えていったように思える。昭和40年代半ばから作品のサイズは徐々に小さくなり(必然的に制作のペースは上がり)、描かれるのも遠くはるかな風景から近く小さな、手を伸ばせば物理的にも触れることのできるような風景へと変わっていく。風景と触れあい、一体化することの悦びを絵に表すためのこれまでとは別で、よりリアルな方法を、江上さんは自らの手で練り上げようとしていた。筆を運びながら目の前の風景と一体化していくその心の震えを、まるでイメージの揺らぎとして定着するかのように。

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 そしていよいよ画家 江上茂雄の第2ステージが始まる。つまり現場写生による水彩風景画の時代である。昭和47年(197260歳で無事退職を迎えた江上さんは翌年荒尾に転居、木版画の制作に精力を注いだ数年を経て、昭和54年(1979)から水彩絵具の道具一式をリュックサックに詰めてほとんど毎日街や野山に出かけるようになった。クレパス・クレヨンによる室内での制作から水彩絵具による現場写生への転換、あるいは現場写生による風景画制作のための水彩絵具という画材の選択。この転換/選択は一見唐突にも見えるが、しかし昭和30年代からの絵の変遷を見ていけば、それが長くゆっくりとした助走をともなっていたこともうかがえる。

ただ、それにしても分からないことが多すぎる。幾度となく同じ風景を描くにしてもいつも同じ構図なのはなぜなのか、写実・写生を旨としながらなぜ影はいつも蒼く、光は徐々に黄色くなるのか(絵具の奔放な厚塗りに関しては「水彩画としては邪道だが、薄塗りではどうしても満足できなくなった」と江上さん自身が意識的ではある)、1日1枚できあがる絵の「すべてが一応及第点で、失敗作はない」というのはどういうことか、そもそもなぜ毎日描こうと決めたのか、など。同時に分かってもいる。これらの「なぜ」に答えられたとしても、なぜ私たちが江上さんの風景画に惹きつけられるのかには答えられないままであることを。

人はたくさんの矛盾と曖昧さを抱きかかえながら、相容れないものに引き裂かれる経験を繰り返して生きて在る。形式的には精彩を欠き凡庸と括られてしまうかもしれない江上さんの絵がしかし凡庸さの底を掘り抜き光を放つのは、江上さん自身がその生と徹底的に向き合っているからであり、個としていかに生き抜くかという原初的な生の力がにじみ出ているからだろうと思う。土に着き、自己を見つめ、世界に触れつづけた江上茂雄という人間の101年の道行きを、見渡そうとするのではなく想像してみること。

***

どこにでもある風景をどこにでもある画材で描いた風景画が、見たこともないような風景の内側をめくりあげてしまう希望を、展覧会場で受けとめてもらえればうれしく思います。

(担当学芸員 竹口浩司)

2013年9月8日日曜日

言葉

田川展では、会場のところどころに、
江上さんご本人から語られた言葉をご紹介しています。

例えばそれは、これまでの想い出を振り返るものであり、
あるいは絵に対する情熱、そして、生きるということ。
控え目で、淡々としているようでいて、けれども・・・。

今日、展示をご覧になったお客様から、
「江上さんの言葉が、作品と一緒になって
 自然と頭に聞こえてきました」
というお声をいただきました。
とても実直な、心に沁みるご感想でした。

3つのミュージアムによる江上さん祭りのうち、
田川展では、その人となりや歩みに寄り添いたいと思い、
会場を構成しています。
ぜひ、作品とともに、その言葉を
味わっていただければと思います。

(とく)



2013年9月5日木曜日

作品紹介(10)

県内一円江上茂雄まつり(?)の第一弾である「江上茂雄 ~百一賀、小さな私の毎日~」が田川市美術館で現在開催中。先日会場におじゃまして改めて「いい絵だなあ」と見入った作品があります。

江上さんが「路傍の画家」であることを止める平成21年2月に描かれた水彩画の一枚「県道の朝」。


「路傍の画家」と呼ばれたことが象徴しているように、江上さんは道端に腰かけてよく街の風景を描いています。必然的にこの作品のように道路が向こうへと伸びていく絵がたくさん生まれるのですが、江上さんのそういったタイプの絵に惹かれることは個人的にはあまりありませんでした。

私自身の好みもあるでしょうし、ひょっとしたら江上さんの性格が奥行きを生む遠近法的な表現にあまり向いていないのかもしれない、と勝手に想像したりもしていました。

その中でこの絵は、ぐぐっと惹きつけられます。

画面の真ん中が明るく抜かれていて、目線と気持ちがイメージの向こうへと心地よく導かれると同時に、一見すると画面を汚しているような全体を覆う膜が風景に手触りをもたらし、風景が消失点の彼方へと霧散するのを押しとどめるのです。その揺らぎの中に遊ぶ心地よさと、ふしぎなリアリティ。

江上さんが「路傍の画家」として最後の最後にたどり着いた、融通無碍の境地と言えるのではないでしょうか。

田川展は会期が短く16日まで。この作品はじめ他の2会場で見られるものもたくさんありますが、けれど田川展でしか感じることのできない江上茂雄さんの姿と絵の魅力があります。

ぜひご覧いただければと、願っています。(たけ)

2013年9月2日月曜日

いよいよ開幕です!

9月2日。
約1週間をかけて、田川市美術館での
展示作業が完了しました。

今日は、ケンビから(たけ)さんも応援に来てくださり、
最終調整を行いました。

“路傍の画家”とも呼ばれたように、
道端に腰を下ろして絵を描く江上さんの視点を感じていただくため、
作品をかなり低い位置に掛けています。
写真のように、小さなイスをお好きな位置に動かして、
ぜひすわって、江上さんの描いた風景に向き合って
いただければと思います。

田川での会期は、9月3日~16日。
2週間と短いのです。
台風や秋雨前線の影響で、しばらく天気が悪そうですが、
ぜひぜひ、足をお運びください。

(とく)