2013年秋、福岡県内3つのミュージアム(田川市美術館9/3-9/16、三池カルタ・歴史資料館10/1-12/8、福岡県立美術館10/5-11/10)で開催される画家 江上茂雄の回顧展。このブログからその色々を紹介、発信します。
2013年10月22日火曜日
親子のためのワークショップ「ねえお母さん、思い出の風景おしえてよ」
あれれ、気付いたら福岡展も大牟田展も「始まりました」ってないですね。しまったしまった。ちゃんと始まってますよ(笑
さて、福岡ケンビでは10月20日、九州女子大で幼児教育を学んでいる学生たちによるワークショップを行いました。
それが、親子のためのワークショップ「ねえお母さん、思い出の風景おしえてよ」。
今回の江上茂雄展@福岡ケンビは、「郷土の美術をみる・しる・まなぶ」というシリーズの第5回目を特別編として開催していますが、その趣旨のひとつが「大人と子どもがときには一緒に、ときには別々に美術と向き合う場と時間をつくり出す」ということ。
ですから会場は肩肘張らないフランクな雰囲気(でも鑑賞の深みはたっぷりと!)ですし、関連イベントも意識的にいろいろな層に向けて発信しています。今回の「親子のためのWS」もその大切な試みでした。
そのことに理解と共感を示し、「いっしょにやりましょう」と言ってくださったのが九州女子大の谷口幹也さん。彼のゼミの一環としてワークショップの企画・運営に取り組んでくださいました。結果、この展覧会が学生たちへの教育的な機会としても活用してもらうことができたのもありがたいことでした。
学生たちは比較的早い段階でケンビに足を運び、実際に江上さんの作品を見てくれています。そのうえで彼女たちがワークショップで大切にしようと話し合ったこと、それが「お母さんの膝の上で抱っこされているような安心感と居心地の良さをつくる」ということでした。
それは、わたしにとってとてもうれしい出来事。
当日参加してくださった親子は二組。はじめはちょっと緊張気味で人見知りしていた子どもたちもそのうちぐんぐん学生たちになじんでいって、どんどん笑顔があふれていきました。
よし、美術館を飛び出して、公園でお絵かきしちゃおう!
学生たちのスキルは、素人の私から見てもまだまだつたないものでしたが、彼女たちのひたむきさとやさしさはちゃんと子どもたちにも伝わり、お母さんやお父さんたちにも伝わり、主催者も参加者もいっしょになってステキな時間をつくろうとしてくれたところに、ワークショップの原点のようなものを見ることができました。
そして最後はみんなとびきりの笑顔で、バイバイ!またね! (たけ)
2013年10月7日月曜日
2013年10月3日木曜日
破格の紹介記事
まもなくの5日から福岡展はじまりますゆえ、ただいま鋭意展示作業中。そんなナイスタイミングで写真家・編集者として知られるあの都築響一さんが、ご自身のメールマガジン「ROADSIDERS' weekly」(2013/10/02号 vol.085)にて江上茂雄さんを紹介する破格の特集を組んでくださいました。
お聞きしたら「引用コピペ上等!」ということで転載も歓迎とのこと。
てことで、ふふふ、みなさんにもご紹介をば。
都築さん、ありがとうございました!
お聞きしたら「引用コピペ上等!」ということで転載も歓迎とのこと。
てことで、ふふふ、みなさんにもご紹介をば。
都築さん、ありがとうございました!
art百年の孤独
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「べにいろの雲」1964年前後、クレヨン |
その名前も知らなければ、作品も知らない。でも、
江上茂雄さんは熊本県荒尾市に住む、なんと101歳の現役画家、 |
「雪降る」1960年前後、クレパス |
なんだか気になって検索してみると、
その場で建築家の長男・徹さんと画家の次男・ |
江上茂雄さん、現在101歳 |
2010年の福岡展にあわせて、私家版として発行された(
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私の絵暦
母はある店先に入った。 学童の図画教程はいわゆる写生の時代。写生といっても、 母子家庭で昭和二年高等小学校卒業後、三井三池鉱業建築課就職、 その後、退職から今日までの三八年間は「路傍の画家」 |
「壁の朝」1997年6月、水彩 |
水彩風景画は現地写生で一年三六五日、一日一枚(四つ切)、
他との関係は一切なく、一人で描き、発表は個展だけ。 |
「本村の小道」1994年12月、水彩 |
私も日本人のはしくれ、「枯れる」というように終わりたいが、
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隣の大牟田とともに、三井三池炭鉱の町としてかつては栄え、
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尖ったアトリエの明かり取りが印象的な家 |
「もうこんな歳ですから夏冬が、特に冬の寒さがこたえますねえ」
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「万田山 ふもと」1983年7月、水彩 |
江上茂雄さんは明治45(1912)年、
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居間にはお母さん奥さんの写真が並べて掲げられている 「母の赤きタンス 2」1932年前後、水彩 |
ちなみに1912年生まれというのがどんな年代かというと、
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アトリエの窓際には絵を描く場所が |
江上さんが初めて絵の才能を認められたのは大正12(1923)
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「習作」1927年前後、水彩 「いとこの家の庭」1931年前後、水彩 |
前述したように12歳で父をなくし、
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そのころはなんといっても石炭増産の時代でしたから、
そういえばちょうど就職したころですから、15~ それから戦争が始まって、終戦直後までは画材もないし、 |
「黄耀」1964年前後、クレパス 「海のくもり日II」1960年前後、クレヨン 「公園の夏」1971年、クレパス 「石の朝」1964年前後、クレヨン 「赤の玩具」1968年頃、クレヨン |
けっきょく私がこんなふうに絵を描いてきたのは、
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昭和13年(26歳)から43年(56歳)ごろまで続けられた、 |
そして学歴がなかったことと、酒が飲めなかったこと。
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路傍の画家として、町の人々にはおなじみの存在となっていった |
昭和47(1972)年に定年退職すると、「
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アトリエにはスケッチの場所や内容ごとに分かれた作品収納棚が。 |
それまではクレヨン、クレパスをおもに使ってたんですが、
いまはもうなかなか外にも出れないですから、 でも私の木版はダメなんです。本来、木版向きの人間じゃない。 |
アトリエで版画を見せてくれた 彫刻刀やバレンなど、版画の道具を収めた箱 『私の筑後路』より、1973年以降、木版画 |
11歳のころから数えれば90年(!)にわたる画業のなかで、
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たまに描けなくなって、
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「暮れ時の堤防」1966年頃、クレヨン |
自然や風景が多いのは・・・自然はつねに優しいから。
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「くもり日の干しもの」1972年前後、クレヨン 「さんま」1969年頃、クレパス 「しぐるる日」1970年前後、クレヨン・クレパス 「線路敷の夕暮れ」1950年前後、クレパス 「角のタバコ屋」2007年12月、水彩 「県道の朝」200年2月 「師走の屋並」2008年12月、水彩 |
作品を見ればわかるように、
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アトリエの書棚にはボロボロになるまで読み込まれた画集や美術雑 「夕立の後」1962年頃、クレパス 「落陽の刻」1950年前後、クレパス 昭和34年(47歳)から47年(60歳)ごろまで続けられた、 『私の手と心の抄』より、1960年代、水彩・クレパス・墨汁 『私の手と心の抄』より、1960年代、水彩・色鉛筆 |
これだけ年齢を重ねて、
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もう眼も、手足もよく動かなくなったけど、それでも毎日、
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緑豊かな庭に面した一角で 「たまに買い物に行きますと、 「夏の終わり」2002年9月 「夏木立」2002年7月、水彩 |
60歳で得た画友に向けた手紙が、
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毎晩二四時にスイッチを押すだけに炊飯の
用意をして寝につきますが、あしたの朝が キット来ると思っているのでしょうか? 午前中二時間、午後も二時間位、ゲンミツな 言葉では外に出ないのですから、「路傍の画家」 とは言えませんが、延長の「木版」をやっています。 これも「サーひと仕事終わった」たった一つの楽しみ コーヒーを飲む「コージツ」かもしれません。 くたびれてチョッと横になると眠っています。 ほんの二、三分かと思いますが。 |
「切り通し 六月」2005年6月、水彩 「倉掛 七月」1994年7月、水彩 「炭坑線のみえる風景」1991年5月、水彩 |
これまでたくさんの取材を通して、
僕らはいつも美術館に、「いい作品」を見に行く。でも今回は、 |
「枯野」1983年2月、水彩 |
福岡県立美術館の江上茂雄展は10月5日から。同時開催のうち、
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『江上茂雄 風ノ影、絵ノ奥ノ光』
@福岡県立美術館 10月5日~11月10日 http://fukuoka-kenbi.jp/ @大牟田市立三池カルタ・歴史資料館 10月1日~12月8日 http://xn-- |
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