水彩、クレパス、墨汁
『私の手と心の抄』と江上さん自身が名付けたシリーズの一枚です。このシリーズは昭和34年前後から江上さんが会社を退職される昭和47年まで断続的につくられました。
画面のところどこに花を思わせるモチーフが見えますが、これまで紹介した作品とはがらりと異なる雰囲気。何を描いているかはまったく分からず、抽象的というよりも子どもの落書きにちかいと言った方がいいかもしれません。
実際、この作品をはじめとした『私の手と心の抄』は、水彩やクレパスだけに飽き足らず手近にあるあらゆる画材(ボールペン、マジックインキ、墨汁など)を駆使してほとんど即興的に、数時間でつくられました。ですので、シリーズとはいえ形式的にはなんのまとまりもなく、雑多で取りとめのないイメージの寄せ集めになっています。
しかしだからこその魅力があります。それは独特の生々しさ。いろんな画材と戯れる江上さんの肉体的な悦びがダイレクトに現れているのです。誤解を恐れず言えば、非常にセクシャルな印象もあります。見ていると何かこう、身もだえしてしまうような(笑)
写実、写生を旨とする江上さんの手からこういうイメージが生まれてきたことに驚くかもしれません。
しかしそもそも、人が生きて在るとはそういうものではないでしょうか。いろんな矛盾や曖昧さを抱え、「自分」というものがいくつもの相容れぬものに引き裂かれる経験の連続。そして表現とは、自分や世界に穿たれたそんな亀裂に目を注ぎ、耳を傾け、受け止める(あるいは抗う)ところから生まれるものにちがいないのです。
自分を見つめ、世界に触れること。この非凡な徹底ぶりが、江上さんの絵が放つ原初的な表現の力の源であることは確かですが、じつはそんなふうに括ることもできないさらなる矛盾や曖昧さを江上さん自身が抱え持っていることが、絵をさらに複層的で「リアル」なものにしているように私は思うのです。
ただそれは、また別のところで。