2013年7月4日木曜日

作品紹介(4)

高島野十郎(1890-1975)という画家がいます。福岡ゆかりの洋画家で、当館でも随一の人気を誇る写実の画家。その彼が有明海の干潟を描いた「春の海」という自作を前にして、「これは空気を描いたのです」と言ったとか。

今回ご紹介する江上さんの作品を見ていると、野十郎のその言葉を思い出します。これもまた空気を描いた作品だと勝手に思ってしまうのです。もちろんそれは、野十郎はちがうやり方でちがう空気を描いているのですが。

「べにいろの雲」1964年前後、クレヨン、大牟田市海岸埋め立て地付近

夕暮れなのか早朝なのか、紅く染まった雲が紺碧の空を大きく占めています。地平線は画面の下の方に追いやられ、静かな構図でありながら圧倒的な空間の拡がりを獲得しています。

地面の上に立っているのは送電線用の鉄塔でしょう。クレヨンが塗られた画面を針状の道具で引っ掻いて生まれた線の繊細さと正確さは、江上さんが三池炭鉱建設課に働くことで培ったパース引きの技術が生かされているようにも思えます。その横にさりげなく配された小さな掘っ立て小屋に、江上さんはやはり自己を投影しているのでしょうか。

江上さんのロマンチストとしての資質が存分に体現された作品といえるでしょう。その意味では心象風景と呼ぶにふさわしい作品でもあります。こういう風景を前にした時にきっと誰もが抱くような切ない感慨を見事に造形化しています。

と同時に、とてもリアリスティックに描かれた風景画でもあると思うのです。

一面青く塗られた空にわずかに見えるグラデーションが、なにか空気のよどみや大気の揺れを感じさせ、地面を埋め尽くす葦(?)を描くタッチが画面左に向かうほど大らかになっているのは、そこに吹き抜ける風を描こうとしているのではないでしょうか。

もちろんここで言う「リアル」は、目に見える物を見える通りに描こうと志向する絵画様式としての写実主義(リアリズム)からは逸脱していくでしょう。しかし風景のただ中にあって、私たちは何にその風景のリアリティを感じるのか。それはやはり、目には見えないけれど肌に触れてくる風や熱のようなものではないでしょうか。

この絵からは風/景と文字通り交わる江上さんの悦びがじんわりとしみ出しています。(たけ)