斜めに切られた茎が、この花が江上さんの手によって摘まれたことを示しています。江上さんはスケッチに出かける時、小さな瓶に少しの水を入れて携えて、摘んだ花を大切に持ち帰ってはこのように描きました。
とすれば、この小さな花と出会ったのは帰り道でしょうか。スケッチはうまくいったのでしょうか。それとも「今日はいまいちだったなあ」なんて呟きながらなのでしょうか。
花を摘むときには、なにか言葉をかけるのでしょうか。
家に帰ってきて、荷物を置き、一休みしてから江上さんは花を手に取り、愛で、鉛筆を取り出し紙の上に象っていきます。
消しゴムは使いません。硬く尖らせた鉛筆の先で、心を無にして、精神を集中して、一本の線で輪郭を描いていきます。目の前の対象に没入、忘我する約二時間は、現実から完全に隔絶されて平穏を手に入れることのできる、貴重な時間だったに違いありません。
『私の鎮魂花譜』と名付けられ、ファイル3冊に分類・保管されているこれらの植物画は、昭和13年から40年代初頭までのおよそ30年間の長きにわたって断続的に制作されてきました。青年時代の寂しさを慰めるための営みだったと、江上さんは振り返ります。
さらにこの絵では水彩で薄く色がつけられています。鉛筆だけで描かれたものよりも柔らかい仕上がりで、この花の小さく愛らしいさまがよく伝わってきます。
縦21cmほどの紙の上に余白を大きく残したままに描かれたこの花は、ほぼ原寸大なのでしょうか。小さきものを愛で、弱いものに共感を寄せる江上さんの心性が彷彿とされます。(たけ)