田川市美術館での開幕まで約1週間となった本日、
福岡県立美術館から田川へ、展示作品が搬入されました。
クレヨン、クレパス、水彩、木版、スケッチなど、
約80点の展示になります。
これまでに描かれた2万点と言われる作品数からすれば
250分の1、ということになりますが、
展示された作品と作品の間、あるいは背後、周辺を思いつつ、
江上さんご自身が語られた言葉とともに、
味わっていただければと思います。
(とく)
2013年秋、福岡県内3つのミュージアム(田川市美術館9/3-9/16、三池カルタ・歴史資料館10/1-12/8、福岡県立美術館10/5-11/10)で開催される画家 江上茂雄の回顧展。このブログからその色々を紹介、発信します。
2013年8月26日月曜日
2013年8月19日月曜日
田川チラシできました!
3館の中で、いちばん先に開幕する田川市美術館。
やや遅くなってしまいましたが、告知用のチラシが完成しました。
あまり部数がないため、場所をしぼってお送りしていますが、
見かけたら、ぜひお手元に取ってご覧ください。
裏面には、ケンビとかるたっくすの情報も掲載しています。
(とく)
やや遅くなってしまいましたが、告知用のチラシが完成しました。
あまり部数がないため、場所をしぼってお送りしていますが、
見かけたら、ぜひお手元に取ってご覧ください。
裏面には、ケンビとかるたっくすの情報も掲載しています。
(とく)
2013年8月16日金曜日
トークイベントのごあんない/9月13日@アートスペース・テトラ
江上茂雄展はまず田川市美で9月3日からはじまり(~9/16)、その後三池カルタ・歴史資料館で10月1日から(~12/8)、そして福岡県美で10月5日からはじまります(~11/10)。
その田川市美での会期中に、三池カルタ・歴史資料館と福岡ケンビではプレイベントとして、「息子たちが語る、画家 江上茂雄」というトークイベントを行います!
9月13日(金)午後7時から約2時間、場所は福岡ケンビの近所にあるアートスペース・テトラ。話し手は「息子たち」でいらっしゃる江上徹さん(長男/前九州産業大学建築学科教授)と江上計太さん(次男/現代美術作家)です。
参加は無料ですが、1ドリンクオーダーをお願いしています。金曜日の夜ですので、仕事帰りにでもふらりと寄って、飲みながらゆるーく参加していただければうれしいですねえ。(たけ)
artspace tetra
→ http://www.as-tetra.info/
その田川市美での会期中に、三池カルタ・歴史資料館と福岡ケンビではプレイベントとして、「息子たちが語る、画家 江上茂雄」というトークイベントを行います!
9月13日(金)午後7時から約2時間、場所は福岡ケンビの近所にあるアートスペース・テトラ。話し手は「息子たち」でいらっしゃる江上徹さん(長男/前九州産業大学建築学科教授)と江上計太さん(次男/現代美術作家)です。
参加は無料ですが、1ドリンクオーダーをお願いしています。金曜日の夜ですので、仕事帰りにでもふらりと寄って、飲みながらゆるーく参加していただければうれしいですねえ。(たけ)
artspace tetra
→ http://www.as-tetra.info/
2013年8月9日金曜日
作品紹介(9)
先日、友人から興味深い話を聞きました。
とある幼稚園が園舎を新築するにあたり、園児たちにいままで使っていた園舎の思い出を大切に持っていてもらいたいとワークショップを行ったそうです。園児一人ひとりにカメラを渡し、自分たちの好きな場所、お気に入りの場所を撮ってこさせて、最後にみんなで見せあいっこしたとか。
ひとりの園児が撮ってきたのが、水が抜かれたプールの片隅にあるプレートのようなもの。それを見て、先生はじめ大人は誰もそれがどこなのか分からなかったのに、子どもたちは全員が「プールだ!」と分かったのだそう。
おもしろいなあ、と思いました。
子どもたちの目線が低いのも一因かもしれませんが、それよりも子どもたちは大人とは決定的に異なる方法で世界を捉えているのでしょう。
大人はいわば世界を俯瞰して、全体を見渡そうとします。それに比して子どもたちは、自分たちの具体的な経験に基づき細部から舐めるようにして世界をとらえようとするのです。つまり視覚ではなく触覚。赤ん坊が物を何でも口に入れようとするのは、舌の筋肉が手とつながっていて、要は触覚によって外界を触知しようとする欲求の現れだとか。
そこではたと気が付きました。私はそんな(子どものような)大人を知っていると。それが江上茂雄さんです。
江上さんは自らの経験でもってのみ世界と向き合い、世界を触れるように描くのです。
例えばこんな絵があります。
壁の質感に江上さんが惹かれるのはその見た目の面白さではなく、実際に壁に触っているような感覚に駆り立てられているのでしょう。そしてその感覚を、今度はクレヨンを塗るという行為に託し、江上さんは延々とクレヨンを塗っては削りまた塗ってを繰返し、作品を仕上げるのです。
「子どものような」とはいえ、もちろん江上さんは大人であり、しかも45年間会社員を勤め、7人家族を養った歴とした社会人でもあった訳ですから、いよいよもって江上さんという人が分からなくなり、分からないから面白く、底知れない人だなあと思うのです。(たけ)
とある幼稚園が園舎を新築するにあたり、園児たちにいままで使っていた園舎の思い出を大切に持っていてもらいたいとワークショップを行ったそうです。園児一人ひとりにカメラを渡し、自分たちの好きな場所、お気に入りの場所を撮ってこさせて、最後にみんなで見せあいっこしたとか。
ひとりの園児が撮ってきたのが、水が抜かれたプールの片隅にあるプレートのようなもの。それを見て、先生はじめ大人は誰もそれがどこなのか分からなかったのに、子どもたちは全員が「プールだ!」と分かったのだそう。
おもしろいなあ、と思いました。
子どもたちの目線が低いのも一因かもしれませんが、それよりも子どもたちは大人とは決定的に異なる方法で世界を捉えているのでしょう。
大人はいわば世界を俯瞰して、全体を見渡そうとします。それに比して子どもたちは、自分たちの具体的な経験に基づき細部から舐めるようにして世界をとらえようとするのです。つまり視覚ではなく触覚。赤ん坊が物を何でも口に入れようとするのは、舌の筋肉が手とつながっていて、要は触覚によって外界を触知しようとする欲求の現れだとか。
そこではたと気が付きました。私はそんな(子どものような)大人を知っていると。それが江上茂雄さんです。
江上さんは自らの経験でもってのみ世界と向き合い、世界を触れるように描くのです。
例えばこんな絵があります。
「倉庫の前」1995年3月 水彩 大牟田市内
「どうしてこんなところを絵に描いてしまうのか分からないんですけど、気付いたら描いてるんです」と江上さんはおっしゃいます。このいわば小さな世界に感応し、2,3時間かけて描 こうとする江上さんのリアリティを想像してみること。
さらにこんな絵も。
「壁の曇り日」1972年前後 クレヨン 荒尾郊外
壁の質感に江上さんが惹かれるのはその見た目の面白さではなく、実際に壁に触っているような感覚に駆り立てられているのでしょう。そしてその感覚を、今度はクレヨンを塗るという行為に託し、江上さんは延々とクレヨンを塗っては削りまた塗ってを繰返し、作品を仕上げるのです。
「子どものような」とはいえ、もちろん江上さんは大人であり、しかも45年間会社員を勤め、7人家族を養った歴とした社会人でもあった訳ですから、いよいよもって江上さんという人が分からなくなり、分からないから面白く、底知れない人だなあと思うのです。(たけ)
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